大学時代、ブックオフの100円コーナーで好きな作者の本を買い漁っては、好きな言葉をメモ帳に書き込んでいました。お勧めの本や言葉を書いてきたいと思います。
浪人中に読み、夏目漱石が芥川にあてた手紙に衝撃を受けました。
「牛になる事はどうしても必要です、われわれはとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。
僕のような老猾なものでも、ただいま牛と馬とつがってはらめる事あるあいの子位な程度です。
あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。
うんうん死ぬ迄押すのです。それだけです。
決して相手をこしらへてそれを押しちゃいけません。
相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして我々を悩ませます。
牛は超然として押して行くのです。
何を押すかと聞くなら申します。 人間を押すのです。文士を押すのではありません。」
時間が足りないからと、ついつい浅い理解のまま先に進みそうになってしまう自分にとっては「頭を悪くしてはいけません」という言葉が心に刺さりました。
大学1年生の時、芥川や太宰、坂口安吾を夢中で読みました。
「人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に對して鋼鐵の如くではあり得ない。人間は可憐であり脆弱(ぜいじゃく)であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局處女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を擔ぎださずにはいられなくなるだろう。」
小学校時代に読んだ本ですが、子供ながらにコペル君と一体になって義憤を感じたり、情けない気持ちになりながら読んでいました。
若い時はどうしても話が神に繋がっていくくだりが説教臭く感じられ、好きになれなかった三浦綾子ですが、大人になってから改めて読むと言葉が素直に心に響くようになりました。
私の好きな言葉をいくつかご紹介します。
まずは「続泥流地帯」から。十勝岳が大噴火し、田畑が硫黄だらけの泥流土に覆われてしまいます。
誰もがもうこの土地では農作物は実らないとあきらめる中、拓一だけが田畑を耕し続けます。
なぜそんな苦労を自ら背負い込むのかと心配する友人に対して、拓一は言います。
「三年経って、もし実らないとわかったら、その時は俺も諦める。すると人は言うだろう。その三年の苦労は水の泡だったってな」
「しかし、俺はね。自分の人生に、何の報いもない難儀な三年間を持つということはね、これは大した宝かも知れんと思っている」
「たとい米一粒実らなくてもな。それを覚悟の上で苦労する。これは誰も俺から奪えない宝なんだよ。」
「実りのある苦労なら、誰でもするさ。しかし、全く何の見返りもないと知って苦労の多い道を歩いてみるのも、俺たち若い者の一つの生き方ではないか。自分の人生に、そんな三年間があったって、いいじゃないか。俺はね、はじめからそう思ってるんだ」
正直者が馬鹿を見る、正しく努力したから報われるわけでもない、と考えてしまうと、ともすれば損得、効率を考えて安易な方向に流れそうになってしまう。
そんな時に、自分一人が馬鹿を見ているようでも、自分として恥じない行動であればいいじゃないかと考えさせてくれる言葉です。
また、お金を稼ぐことくらいが人生の目標になってしまっては父に申し訳ないといった言葉もあったかと思いますが、ここの言葉も折に触れて自分に言い聞かせています。
続いて「裁きの家」です。正直終始ドロドロしており、ラストまで救いの無い話なので、二度読み返したいと思う本ではありませんでしたが、自分の身に照らし合わせて考えさせられた本でもありました。
「自己主張の果ては死」
登場人物それぞれが、エゴを押し通し続けることで本当に最悪の結末を迎えてしまいます。大人になれば、自分のエゴがなにを引き起こすかは分かっています。
分かっているのに抑えることのできないエゴの醜さと、人間らしさ、救いようのない気分になると同時に、本当にどんな結末になったとしても押し通す必要のあるエゴなんてあるのか、考えさせられる一作でした。
最後に嵐吹く時もの中から私の好きな言葉を。「腹の足しになる学問が本当の学問ではない。人間、金設けくらいが目的で生きちゃいけないって。金持ちの家に婿に行って、金もうけして、それで一生終わったら、父さんに笑われるよ、俺。俺な、なんか、こう時々胸が煮えたぎるような気がしてさ。男一匹の生き方ってこんなもんじゃない。こんなもんじゃないと、しきりに思うことがあるんだ」若い時は、この言葉を熱い気持ちで何度も反芻していました。年を取ってきて、改めてこの言葉を見ると、同じような熱い気持ちはこみあげてこないものの、やはり自分自身に問いかけたくなります。自分は年齢なりの役割を果たせているのだろうかと。エンジニアとしては幸せな生き方をしていますが、自分の検討したいことを検討することだけでいいのかと。勿論、私自身エンジニアとしてまだまだ未成熟なのでやることは山ほどあるのですが、時々社会的に大きな仕事をしている友人の活躍を見たりすると、本当に自分はこの仕事をしているだけでいいのかと変な焦燥感に駆られることがあります。年を経るに連れて、自分の身の丈が見えてきてしまいますが、それでもまだもう少し背伸びしてできることはないだろうかと振り返らせてくれる言葉です。
裁きの家の感想とは真逆のことを言うようですが、「考える暇もなく引きづっていくのでなければ感情というものになんのの意味があるだろう」という言葉も大事にしています。大人として理性的な振る舞いは重要だと思いますし、道理の通らないことはすべきでないと思いますが、意味を考えたり、理屈だけで動こうとすると、なにもしないのが良いという結論になり勝ちです。人間は理性的な生き物であると思う反面、動物的な感覚を失ってはいけないと思っています。理屈が行動を抑えようとしている時、サガンに出てくる上記の言葉を思い出して、今自分が本当に後悔しない道はどっちなのかと自分に問うようにしています。
小学生時代夢中で読み、中高時代は説教臭く感じられて敬遠し、大学時代からまた言葉が素直に入ってくるようになりました。
人生で最も苦しい事は、夢から醒めて行くべき道がないことです。夢はいいものです。そうでなければ金銭が大切です。金銭という言葉は交渉なものではありません。高尚な君子達からは馬鹿にされるかもしれません。しかし、私はいつも思うのですが、人間の議論というものは昨日と今日どころか、食前と食後ですらも往々にして違いがあるものです。およそ、飯は金を出さねば買えないことを承知していながら、金の話をするのを卑しいと思っている連中は、もし胃へ触ってみたら、きっと魚や肉がまだ消化されずに残っているに違いありません。自由は金で買えるものではない。しかし、金のために売ることはできる。
学生時代、ブックオフに行くと必ず以下の作者の100円コーナーを漁っていました。
高校時代、漢文の先生が絶賛していたのに影響を受けて手に取ったのが始まりでした。もともと三国志や史記等、中国の歴史小説は好きだったのですが、この本が中国の歴史小説に更にのめり込むきっかけになりました。
春秋戦国志 韓非子 隋唐演義陳舜臣の本はすべて面白く、これは外れだと思った本が一冊もありません。まずは小説十八史略がお勧めですが、アヘン戦争、旋風に告げよ、琉球の風、インド三国志もお勧めです。
阿片戦争 残糸の曲 旋風に告げよ 小説十八史略大学時代夢中になって読んだ、最もお勧めの中国歴史小説です。中国の歴史物は宮城谷さんの本も好きなのですが、たまに主人公に肩入れしすぎな色男描写が鼻につくので、陳舜臣の固めな描写の方が好きでした。管仲と鮑叔牙、重耳の時代が面白く、繰り返し読みました。
江は流れず
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